弟の受験

 

 大学受験の相談に乗ってほしいと、弟からLINEが来た。

 残念ながら弟とは年が離れているため、最近の共通テストなるものはよくわからない。聞かれたことに所感を述べるとそれで満足したようで、すぐに話題はゲームの話になった。

 

 弟ももうそんな年かと感慨深い。考えてみれば、自分の大学受験もN年前である。

 なんか絶望する。

 自分の精神年齢なんか、高校、大学ぐらいからちっとも変っていない気がする。

 

 小さい頃は大人ってものすごく大人に見えたのに、いざ自分がなってみると全然そうではなかったな、いや、きちんと大人になった人もいるかもしれないけど。

 きっとお父さんやお母さんもそうだったんだろう、小さい頃は両親とは絶対的な存在で、そういう生き物なんだとまで思っていたけれど、そういえば家には漫画もゲームもビデオテープもたくさんあったし、親である前に個人であったのだよな。そこらへんを意識し始めたのは高校のあたりだったと思うけれど、決定的だったのは両親が離婚したときだ。

 

 離婚を知ったのは祖母が話してくれたのが最初だった。

 まず私にはそれがすごく嫌だった。祖母が嫌いとかではなくて、本人たちから聞くのがあるべき流れに思った。母親が家にいたくないのは知っていたし、やっぱりなと思う反面、本当に離婚までしないとだめなのかという思いがあってそれからずっと沈んでいた。

 

 母親に話を聞いたときにどっちについていくかと聞かれて父親を選んだが、別にどっちでもよかったし、ただ苗字が変わるのが面倒だっただけだ。それだけなのだが、母親が残念そうな顔をしたのを今でも申し訳なく思っている。誤解がないように記しておくが母親も父親も大好きだ。

 

 母と下の弟はいつの間にか家を出ていて、(大学の寮で生活していたし、実家のことはあまり連絡が来なかった)今でも実家に帰ると落ち着かない。母親の家に遊びに行っても落ち着かない。自分の幼少時代過ごした家が、まるで別の家みたいに感じる。

 

 母の引っ越し期間中、母が使っていた机の上に付箋が貼ってあって、確か「いっこずつこなしていこう」とかそんな感じの自分を励ます内容が書いてあって、衝撃だった。泣きそうになってしまった。母はしばらく専業主婦だったので、離婚して別の場所で働くこととか生活していくことにとても不安があったと思う。母を母親というカテゴリじゃなくて一人の人間なんだよなと思った瞬間はそこだった。

 

 両親は離婚して兄弟も住んでいるところがばらばらになったし苗字も違うが、なんだかんだこれが一番良かったんだろうと思っている。兄弟は割と頻繁に行き来しているし、両親も変わりなさそうだ。離婚してすぐどっちかが再婚なんかしたらどうしようと内心戦々恐々としていたが、そんなこともなかった。まあ、離婚の原因は両親間というよりかは祖父にあったので。

 

 長々と書いた上に、弟の受験の話ではなくて両親の離婚のときの話になってしまった。今でもふと、母親の付箋を見た瞬間の衝撃を思いだす。こうやって文章に起こしてみるのも悪くなかったかもしれない、けどこれは日記ではないな。

 

 日記に書けるような面白いことは今日は起こっていないのでこれでよいことにする。帰り際に新しい案件の話を聞いたがまたプログラムなので、もうプログラム要員として生きていくしかないんだと今さらだが感じている。